短歌鑑賞
音楽というものは、わかり合いにくいものだ。 その曲の魅力について、言葉を尽くせば尽くすほど伝わらない。理解と共感の距離が遠いのだ。 「そっか。あなたはそんなにその曲が好きなのね!」 掲出歌の人物は、それを知ってか知らずか「わたし」の問いに答え…
新しき職場に移りいくつかの秘密の道を歩みて通ふ 太田征宏/『銀座木挽町』H28 秘密とは、ある事柄に精通しているからこそ、あるものだと思っていた。 しかし、どうやら<未知だから見える秘密>というのもあるらしい。 新しい職場へ向かう新しい通勤の道。 …
未来予想の答え合わせをする〈今〉はちょっと楽しい。 例えば1970年の大阪万博。 当時の未来予想(携帯電話、電波時計、電気自動車、人間洗濯機!…etc)を今見ると、そのままの未来あり、驚くような発想ありで、興味深い。 そして当時の人々の未来を見つめる…
陶酔はきみだけでない睡蓮がぎつしりと池に酔ひしれてゐる 前川佐重郎/『天球論』H14 この歌を読んだ時、別世界に連れていかれた気がした。 黄色い芯を持つ目のさめるような色の睡蓮は、池一面に葉を広げ花を咲かせている。 その情景に心を奪われた。 しかし…
青空の井戸よわが汲む夕あかり行く方を思へただ思へとや 山中智恵子/『みずかありなむ』S43 歌謡曲の作詞家、松本隆の歌詞にこのようなものがある。 夢遊病の街へと 飛び込みするポーズ 生きることに少し飽きかけているんだ 下り傾斜だからね 手を広げて走る…
片恋よ 春の愁いの一日をティッシュペーパーほぐして過ごす 服部真里子/『行け広野へと』H26 無自覚の情念というものがあるとすれば、それは掲出歌みたいなものかもしれない。 狂おしさや激しさが表出しない、自分で気づくことができない情念。 手持ち無沙汰…
たちまちに君の姿を霧とざし或る楽章をわれは思ひき 近藤芳美/『早春歌』S23 音楽がある人のイメージと重なるということはたまにある。 ある曲を聴いて、その人を思い出すという具合に。 メロディが引き金になって、情景や人物が生き生きとよみがえるのだ。 …
シェルターのように敬語をつかわれて牛タンネギ塩じんわりと噛む 俵万智/『オレがマリオ』H25 この歌に魅かれたのは牛タンが入ってるからじゃないの?と言われれば、そうですというしかない。 仙台人にとってきっと牛タンはちょっと特別な位置づけの食べ物な…
制服にセロハンテープを光らせて(驟雨)いつまで私、わらうの 山崎聡子/『てのひらの花火』H25 「箸が転んでもおかしい年頃」という言葉をふと辞書で見たときに驚いた。 思春期の女子に対していう言葉だという。 女子だけ? あの、くだらないことで、理由も…
たつた一人の母狂はせし夕ぐれをきらきら光る山から飛べり 前川佐美雄/『大和』S15 狂気の一番美しい瞬間がこの歌にはあるように思う。 不甲斐なさとか、やるせなさとか、絶望とか。狂気の引き金となったすべてをひっくるめて、身を投下する瞬間。 マイナス…
庭のうめ花二三輪のこれるは咲きそめのころに似てうひうひし 上田三四二/『照徑』S60 年をとると、子供のようになるとよく言われる。 きゃらきゃらと笑う母。偉大な駄々っ子に変貌する父。 そういうのを垣間見たとき、老いを感じずにはいられない。 幼児性か…
「ナイス提案!」「ナイス提案!」うす闇に叫ぶわたしを妻が搖さぶる 堀合昇平/『提案前夜』H25 掲出歌の「わたし」は、「ナイス」といいながら、むしろ夢にうなされている。 その"心"とハイな"気分"の食い違いに、自分ですら違和感を持たなくなっていく怖さ…
わたしよりうつくしい眼のそのひとに如雨露のような性欲だろう 大森静佳/『てのひらを燃やす』H25 多すぎず、少なすぎず、ある花をきれいに咲かせるのに十分な如雨露の水。 そして、花に向かってだけ注がれる如雨露の水。 花はそれを知ってか知らずか、すく…
握り飯をジンジャーエールで流し込むわが飲食を犬が見みていた 斉藤真伸/『クラウン伍長』H25 ジンジャーエールが生姜の飲み物だと知ったのは大人になってからだった。 それまでは"ジンジャー”を気にも留めず、ジンジャーエールとは単に炭酸飲料の一種だと思…
もはや跳ぶほかなきゆゑに此の距離を跳べると思ふ 思ふゆゑ、跳ぶ 光森裕樹/『うづまき管だより』H25 説得力を持たせる言葉。 説得力を持たせる無言。 私たちは一見ロジカルに見えるものがあると、なんだか納得できそうな気がする。 この歌は、一字あけの空…
廃線になる日は銀杏のふるさとを囲ふ踏切すべてあがる日 光森裕樹/『鈴を産むひばり』H22 銀杏のふるさとを開け放つ日。 一斉にすべての踏切があがる情景は凜として美しい。 そして、かすかにその情景は、降参して両手を上げる様子と重なる。 ふるさとを延々…
冬ごもる蜂のごとくにある時は一塊の糖にすがらんとする 佐藤佐太郎/『開冬』S50 蜂は冬を越える。 そんなこと、考えた事もなかった。 花があるから蜂がいる。 そういう相互補完的なイメージで結ばれていたけれど、確かに冬を越さなければ蜂だって命をつなげ…
舞台上いつぱいガラスの破片撒き劇中それにはいつさい触れず 山田航/『さよならバグ・チルドレン』H24 リアルな手触りの怖い歌である。 ガラスの破片というのは、何か破壊的な衝撃を暗示させる。 一体何があったのか? それには一切触れないという。 そして…
一夜きみの髪もて砂の上を引き摺りゆくわれはやぶれたる水仙として 河野愛子/『鳥眉』S52 狂気とは、なんて女性的な衝動で、醜くまた艶めかしいものだろう。 裏切り、嫉妬、別離・・・ 狂気の引き金は、どこにあるかわからない。 普段はそのスイッチが自分自身…
三日三晩鏡にむかひゐし老婆わかき女として嫁ぎゆく 松平修文/『原始の響き』S58 無意識にのぞき続けられる鏡なんてない。 必ず、鏡は意識した自分自身を映すのだ。 そこで化粧を続ける老婆… この歌のモノガタリの先には、正体を知らないまま娶る男がいる。 …
葉ざくらの記憶かなしむうつ伏せのわれの背中はまだ無瑕なり 中城ふみ子/『乳房喪失』S29 二週間ほどの間に私の周りで出産、結婚、逝去すべてが起こった。 めまぐるしい時期が過ぎて仕事に戻り淡々と業務をこなしていると、 儚いものはどちらなのか分からな…
人はみな慣れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天 永田紅/『日輪』H12 子どもの頃に漠然と思い描いていた年齢像がある。 二十代はこんな感じ、三十代はこんな感じ……八十代はこんな感じ…。 それは今の年齢よりもっとずっと完璧でしっかりした大人のイメ…
ファスナーは銀の直線、みずからを断つ涼しさに引き下げており 松平盟子/『うさはらし』H8 服を脱ぐことで自分自身を断つとはどういうことだろう。 掲出歌はワンピースだろうか。 少し勢いのあるジーッという音、どこまでもまっすぐに下りる感覚、ひらいてい…
馬跳びの馬だつたわたし 校庭はゆふぐれのうすい墨の香がして 黒木三千代 馬跳びの馬。 前屈の姿勢で目に映るのは、自分自身の薄墨色の影だけである。 その自分の背中を飛び越えて、たくさんの同級生たちが先へ行く。 その眩しさ。 追いつけない、ほの暗い思…
二〇一〇年九月十一日、宝塚市の女(37)が、自宅で長男(6)を絞殺後、自殺。 がんばつて二十分泣き続けたる子が吾亦紅の暗さ見てをり 大口玲子/『トリサンナイタ』H24 母性とは、慈愛にも奈落にも通じるものなのかもしれない。 掲出歌を含む「吾亦紅」一連…
東京に負けた五郎の帰り来て大工町の名はまた保たれる 笹公人/『抒情の奇妙な冒険』H20 都市は地方から人を引き寄せる。 地方はしたたかに都市から人を迎え入れる。 都市と地方のおかしな差異が如実に表れた歌で、ちょっと笑ってしまった。 きっと五郎は志高…
革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ 塚本邦雄/『水葬物語』S26 メロディは誰のものだろう。 ジャズが生まれて100年近くたつ。 ものすごく大掴みで書くと、 当時メロディは独り立ちしていて、シンガーがそれぞれの個性でそれを歌った…
脳内にいくたび星をほろぼしぬ摘まれし花の復讐のため 佐古良男/日本歌人(平成22年2月号) 私たちはそう簡単に自分の憎しみを他人の憎しみのように扱うことはできない。 はたから見れば、たった一輪の小さな花。 だけどそれを奪われることは、本人にとって…
あめんぼの足つんつんと蹴る光ふるさと捨てたかちちはは捨てたか 川野里子/『五月の王』H2 童謡のようなリフレインのせいだろうか。 言葉とは裏腹に、春のキラキラしたイメージが立ち上がってくる歌だ。 赤ちゃんに米を背負わせて転ばせるとか そういうポデ…
血と雨にワイシャツ濡れている無援ひとりへの愛うつくしくする 岸上大作/『意志表示』S36 安保闘争をわたしは知らない。 けれどその答えを知っている。 だからだろうか、私は岸上大作の歌を読むときに少し距離をおきたくなってしまう。 あるいは、うつくしい…